理系大学生の一人暮らし

(元)数学科女子の一人暮らし

(元)数学科女子が大学生活や一人暮らしのこと、就職後のことを書いています。

私が教師になるのをやめた理由

こんにちは、緋雨です。

先月も全然更新できなくてすみません。

 

以前の記事で、就職活動を終え一般企業への就職が決まったと書いていると思います。

私は大学で教職課程を取り、教員免許の取得を目指しています。

もともとは教師になりたいと思い大学進学をした私が教師になるのをやめ、一般企業への就職を決めた理由を話そうと思います。

今更な感じもしますが、書いたつもりが書いてなかったので…(笑)

 

なぜ教師を目指したのか

教師を目指した理由は一度記事にしたことがあるので詳しくは,こちらをご確認ください。

hisame.hatenablog.com

 

簡単に理由を話すと、

  • 自分が好きな数学を好きになってほしい
  • 教科の好き嫌いは教える人の影響も大きい

と考えたからです。

自分の好きな数学の面白さを生徒たちに知ってほしい、そして数学を好きになってほしい。

そのために私は教師を目指したのです。

 

なぜ教師にならないのか

では、なぜ私は教師にならないのか話していきましょう。

大きな理由としては次の2つです。

  1. やりたいことが多すぎる
  2. 完璧主義な性格

それぞれについて書いていきましょう。

 

1.やりたいことが多すぎる

私は、就職してもやりたいことをあきらめたくはありません。

少し上げてみるとこんな感じですね。

  • ライブに行きたい
  • 旅行もしたい
  • ブログも続けたい

これが教師にならない理由とこのように結びつくのです。

 

一般企業で働くよりも休みの自由が利かない

ライブは必ずしも週末にあるわけではなく、平日の夜にあることも多いです。

教師が平日に簡単に休みを取ることはできないし、ライブに間に合うような時間に退勤できるとも思えません。

そのため、平日にライブに行くことは難しいでしょう。

また、週末や祝日でも部活動だったり学校行事だったりなんやかんやで仕事が入ることは多いでしょう。

そうなると週末のライブですらも行けるかわかりません。

近くにライブハウスがあるならまだしも遠征せざるを得ないような場合には諦めるしかないということもあるでしょう。

そう考えると、教職に就くということはライブに行けなくなることに等しいように感じたのです。

また、部活動の顧問などになれば長期休暇等でもおそらく忙しいでしょうしなかなかまとまった休みはなさそうです。

そうなれば大好きな旅行にも行けないかもしれないと思いました。

ライブと旅行は私にとって欠かせない息抜きで幸せな時間なのでそれをあきらめることはできません。

 

教師は副業が禁止!

教師だけに限らず公務員は副業が禁止されています。

そのため、ブログを続けることができないのです。

このブログにも少しではありますがAmazonアソシエイト楽天アフィリエイトを利用して広告を貼っています。

広告が貼られているということは利益が発生しうる状況にあるため、副業ということになるでしょう。

広告の貼ってある記事の公開をやめたり広告を外せばこのブログを残しておいてもよいのかもしれません。

しかし公開をやめるのはなんとなく寂しいし、広告を外すと写真が減ってしまうのでそれも避けたいのです。

また、教員になった時に広告を貼らなくてもブログを書き続けることはダメなのではないかと思うのです。

詳しく把握しきれているわけではありませんが、教師には職務専念の義務があるのでブログの執筆を続けてもよいとは判断しきれませんでした。

もし書き続けてよいとしても教職の忙しさを考えれば今以上に更新できない状況になるのは容易に想像できました。

ブログだけでなく私は投資にも興味を持っていますが、投資により利益を得ることは副業といえると思うので教職に就いたならきっとできないでしょう。

 

こう考えていくと、興味のあることがあっても教師だからできないという制約がかかる恐れがあるのです。

私は自分の好奇心に従っていたいのでそれに耐えられないと思います。

 

2.完璧主義な性格

もう一つの理由は、私の性格にあります。

私は完璧主義なところがあります。

やるからにはとことんやりたいのです。

教師になると私は自分のこの完璧主義な部分に押しつぶされるのではないかと思ったのです。

 

教育実習で感じたこと

3年生の夏に私は教育実習に行き、中高生の前で数回授業をしました。

授業をどのように行うか考えて指導案を書いたり、指導教員の授業の見学を行いました。

私は一つ一つの授業の指導案にとても時間がかかりました。どれだけ時間をかけて考えて作った指導案でもなかなか納得はしませんでした。

どれだけ考えても自分の考える授業が良いものになるとは思えず頭を抱えました。

何度修正しても指導教員にOKをもらっても本当にこれでいいのか不安が付きませんでした。こんな授業じゃだめだと思いつつも授業時間が迫り妥協した部分も多くありました。

完璧な授業なんてきっとどこにもないのはわかっているんです。

教育実習の学生に作れる授業なんてどうしても未熟でまだまだなものでしょう。

けれど私はどうしてもその未完成な授業をすることが苦しかったのです。

授業後にももっとここは改善ができたはず、もっと良い伝え方が、教え方があったのではないかともやもやしていました。

たとえ自分の授業よかったといわれる部分があったとしてももっと良い方法がとずっと頭の中をぐるぐるとして心が疲弊していくのを感じました。

私は正解のないものが苦手なのです。

これが完璧な形や理想の形があればそこを目指せばよいので何が足りないかわかります。

しかし、完璧な形のわからないものだとまだこんなんじゃだめだと思いつつもどこをどう改善していけばよいのかわからずとても苦しくなるのです。

 

塾講師としての経験

私は個別指導塾で3年以上算数や数学を教えています。

小学校中学年から高校生までの児童生徒と関わってきました。

その中には数学が得意な子も嫌いな子もいます。勉強の習慣があまりついていない子も学校の授業についていけていない子もいます。

いろいろな生徒と関わってきて、どの生徒もその子に合った教え方で丁寧に教えていけば少しづつでも理解できるのだと思いました。

そして一人一人理解できる説明が異なることも知りました。

得意な生徒というのはよく使われる説明で理解できているけれど、苦手な生徒はよく使われる説明では理解できないのです。

けれど苦手な生徒にも説明の仕方を変えるだけで解けるようになる子がたくさんいました。

逆にその説明が得意な生徒にとってはわかりにくいこともあるのです。

教え方は一つではないのだと改めて感じた時、集団への授業の難しさを再認識したように思いました。

私は教師として生徒にかかわるのならやっぱり数学を面白いと思ってほしいのです。そのためには、わかることということは大切です。

そして、すべての生徒に理解させるためにはそれぞれの生徒に合った制つめ衣が必要になります。

そう考えると個々への対応が必要になります。特定の生徒にだけしっかりと関わるのは違うけれど、全員としっかりと向き合っていくには時間が足りないように思います。

塾では生徒たちとしっかり話すことでその子の考えていることを知り一人一人に合った声掛けができました。

教師になれば関わる人数は今と比べものにもならないでしょう。

そうなると全体的に浅い関わりになるか、関わり方に差が出たりしてしまうように思います。

私はその時自分の中の理想と現実のギャップに苦しむように思えるのです。

 

要するに、私の中にある漠然とした教師の理想像に現実的には近づけなさそうでこれじゃダメなんだと自己嫌悪に陥りそうだと思ったのです。

 

最後に

私は数学も教えることも好きです。教師という仕事に魅力も感じています。

何人もの先輩たちから教師に向いていると思うといわれました。

その中には実際に教職についている先輩も多くいます。

私自身は自分が教職に向いているのかはわかりません。

しかしながら、私は自分のことが大切です。

私はそれほど精神的に強くはありません。

私は教師になると自分の心が耐えられなくなる可能性があると感じたのです。

私は教育以外にも興味のある道はあったのでなるべく自分の望む生活が送れるように選択をしました。

興味がある仕事って1つだけじゃなくてもいいと思うんです。

それがなかなかない人もいると思うし、それでもいいじゃないですか。

私は自分がどんな生活を送りたいのかを考えて今の道を選びました。

正解なのかは今はまだわかりませんが後悔はしないと思います。

一番大切なのは自分で決断を下すことだと思っています。

だから私はいつでも自分で決断していきます!

 

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