理系大学生の一人暮らし

(元)数学科女子の一人暮らし

(元)数学科女子が大学生活や一人暮らしのこと、就職後のことを書いています。

死にたいとは思わない。ただ消えてしまいたいんだ。

突然すぎるタイトルに驚かれている人もいるかと思います。

 

でも、消えたいなって思うことってありませんか?

私はよくそんな状態に陥るのです…。

 

なんだかいろいろなことに疲れてたり毎日に何の意味も感じられなくなったり…

時々そんな日常から逃げ出したくなるのです。

 

以前は苦しい時にふと“死にたい”のかもと思ったことがありました。

でも痛い思いも苦しい思いもしたくないし、自分のせいで周囲の人が悲しんだり苦しんだり迷惑を被ることも嫌なのです。

というかそもそも死にたいのではなく生きていたくないといったほうが近いと思ったのです。

そして、もし“私”という存在そのものから消えられたら、と思うようになりました。

自分がこの世界からいなくなり、そして私が生まれてから関わってきたすべての人の記憶からも自分が消えてしまえば、誰にも迷惑をかけることなく楽になれるのではないかと。

だから「死にたい」ではなくて「消えたい」なのです。

 

特に意味も感じられないような毎日で生きていることに意味ってあるのかなって。

私が今ここにいることに何の意味もないんじゃないだろうかって。

いやそもそも命に意味を求めるからいけないのかもしれません。

ただふと思うのです。

生きたくても生きられなかった人がいるのに生きていたいと思っているわけでもない自分は生きている。

それなのに何の意味も目的も持たずに生きていていいのだろうかと。

せっかく今ここで息をしているのだから、

苦しいことを抱えながらでも悩みながらでも生きているのだから、

何かしらの意味が欲しいと思うのです。

 

でも自分が生きていることに意味なんて見いだせない。

それ以前に自分が生きていると感じられないのです。

自分が生きているというよりは死んでいないだけ、ただ息をしているだけと思えることがあるのです。

そしてさらに悩み苦しむのです。

私はせっかく命があるというのにただただ息をしているだけじゃないかと。

 

ただ息をしているだけの自分が嫌で耐えられなくて

何者かになろうとしてあがいて

自分がどこに向かっているのか不安になって

周りを見て悩んで苦しんで

変わらなくてはと焦って

それでも変われなくて

変わりたいと叫ぶけれど変わることが怖くて

 

ずっとぐるぐると回り続けてる自分の思考に酔いそうになってしまうのです。

 

もう大学生。

社会に出るまであと少し。

でもやりたいことがわからないし、特に興味のあることもわからない。

多分本当はやりたいことが何かあったはずなんだ。

小中学生のころにはあれが好きだとかあれがやりたいだとかたくさんあったのに成長するにつれて現実が見えて分からなくなった。

今いるところは、私が掲げてきた夢や道は、本当に私が望んでいるものなのだろうか。

私はちゃんと自分で選んで自分の道を歩いているのだろうか。

親や周りの望む声に耳を傾けつつ歩いてきた道。

ここに本当に自分が望んできたものがあるのだろうか。

今は自分の心が、自分自身が、本当の自分の思考が、見えないし分からない。

でもさ、引き返す術は持ち合わせていないから進むしかないと思うんだ。

進んだ先に何があるのかはわからなくて怖いけど、立ち止まったままでいるのも怖いんだ。

本当はまだ引き返すことができて進むことでさらに引き返せなくなって苦しむだけかもしれないけど進んでみようと思う。

何かをして苦しむ方が何もしないで苦しむよりは少しはましだと思いたいから。

 

 

 

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